55年前、昭和33年9月26日の深夜。 狩野川台風の水害により、伊豆半島全域で約930名の死者行方不明者をだしました。
その光景を目の当たりした、長谷川明徳は、 災害孤児を助けたいとの一念から、先端の児童福祉を学ぶべく、 貨物船に乗り込み、ヒッチハイクと徒歩でアメリカ大陸のほぼ中央、… ネブラスカ州オマハのボーイズタウン(フラナガン神父設立)を尋ねました。
それから一ヶ年の勉強の後、日本に戻り児童養護施設・誠信少年少女の家を設立しました。 55年前の今日は〝誠信会の想い〟の原点になった日でもあります。
謹んで災害に遭われた御霊にご冥福をお祈り申し上げます、合掌。
写真は、USAネブラスカ州オハマ空港ロビーにて
昭和34年11月ボーイズタウン監督者と誠信会創立者理事長
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