「これある故に彼あり これ起こる故に彼起こる
これ無き故に彼無く これ滅する故に彼滅す」
縁起の法
「自分があるから他人がある、自分が生ずれば他人が生ずる、自分が無くなれば他人も無くなる、自分が滅すれば他人も滅する」人の縁とは難しいものです。
さて今の社会では、老いや死を感じる機会が少なくなりました。
近しい人の老いや死をとおして、生きることの意味や人の絆を実感する機会が少なくなっています。他の人達とのかかわりを感じて生きることができなくなっています。
人は生まれてすぐに産声をあげ、支えてくれる相手を求めます。
ひとりでは生きて行けず支えてくれる人がいるから生きて行けます。
それは、相手から求め求められ共存して生きているということです。
「私の幸せが、相手の幸せになる。相手の幸せがなくなれば、私の幸せもなくなる」
相手の幸せが自分の幸せにつながります、自分が生きている幸せを感ずるには相手が幸せであることが必要になります。
また、自分の存在を証明してくれるのも相手であることも確かです。そして相手から求められることが自己の存在や生きていることの実感につながります。
デカルトの言う「我思う、故に、我あり」だけでは、人は自己の存在を証明することはできないと感じます。
人のかかわり“絆”の中から自己の存在を証明するには、「理論」だけでなく、人とのかかわり合い、また老いや死などを通してしっかりと人生を受けとめて「体感」を積み重ねることにより、今この一瞬を生きている自己の存在を証明できると思います。
理事長 長谷川文徳
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