誠信会創立50周年記念誌より
ふくしの里へ~創立からの50年の歩み~
・昭和30年代の記録
学校を終わり僧侶としての修行のため、九州熊本の地に、大慈寺開祖、寒巖義尹禅師の禅の宗風に憧れて、修行の日々を積み、坐禅、托鉢、農業に明け暮れた数年が、誠信会社会事業の自主独立の機運を育てたものといえます。
社会福祉事業に骨を埋めるからには先ず、学問的に自分自身の目で確かめ、体でおぼえ身につけなければと悟り、仙台社会福祉短期大学(現東北福祉大学)へ、福祉六法が自由に購入できないため、次の日に使用する(事業法)部分を手分けしガリ版刷りをして間に合わせ、手製の「事業法」を見るにつけ物事は総て無から始まることへの尊さを感謝し、戦後復興から社会経済の安定が見えはじめたこれからの統計学の大切さ、20年30年後には老人福祉の時代が来るという講義を夢中で聞き、社会事業家として社会事業の倫理の原点を学ぶ。
後に児童福祉の道を求め、東北大学教授田代不二男先生の取り計らいにより1カ年近くアメリカ・ネブラスカ州オマハのボーイズタウンへ見聞。
帰国後、日本での社会事業を求めた。
充分に完備された素晴らしい施設も重要であるが、今日の日本には、日本の国民性、政治思潮、気候、風土の上に立った施設の在り方がある。
施設が発展し2,3年その基盤の上に立って、三歩前進、一歩後退的な、名実共に進むべきが道であると云う統一論に達した。
要は『社会福祉がその理想とする「すべての幸福」に向かって邁進する様に児童福祉も「児童の幸福」を目標に、深い愛情、理解、努力によって単なる机上のプランではなく、実践行動をもって活躍し、実践は理論を生み、理論は貴重な実践、行動力を成す。之等が積み重なられ、紆余曲折の内に「幸福」が生まれてくると信ずる』
誠信少年少女の家、発足以来の4年間を振り返り、今日までの見聞、体験を元に遠大な計画「大舎収容管理塔児童センター」を、地域の皆さまのご協力の元目指した。
文:「創立者 長谷川明徳理事長 20周年記念誌より」
長年の夢実り・・・ 〜子ども達との苦楽の日々〜
・昭和40年代の記録
富士山麓に土地を求めて、来る日も来る日も中古のジープにむすびを持って歩きまわり、水と土地を求めて毎夜職員との打合せ。
くる日もくる日も岩倉に通い、雑草を刈り、道を造り、夏休みには重い水道管を担いで子ども達と1キロ余り水道管敷設のきつい作業、工事関係者の方の指導の元で敷設したパイプから水が噴き出て歓声をあげた事。木を切り整地作業、そして昭和45年に岩倉学園建設、ここ岩倉の地で「ふくしの里」として第一歩を踏み出す。
時代の思潮は、社会経済の安定から福祉の時代を迎え、老人のための特別養護老人ホームの建設計画、しかし石油ショックという大きな打撃、途中建設資材の高騰というとんでもない災難に見舞われながらも、数多くの方々のアドバイス、お力添えにより乗り切り昭和50年に無事完成。
文:「創立者 長谷川明徳理事長 20周年記念誌より」
新たなる一歩
児童福祉から老人福祉、そして障害福祉へ・・・
・昭和50年代の記録
昭和55年「年の初めに」
過去5年続いた「ふくしの里」総仕上げの年であり、又内容の充実に向かって第一歩を踏み出す年でもあります。
初心に返る年でもあり、常に問題意識を持って。職員間の協調をとりつつ、人を助けるという考え方ではなく、入所者の自主性を見い出し、それぞれの芽に点火するなど、カウンセラー(専門職)として勉強会(研修会)等、誠信会職員としての資質の共助を目指し、名実と共に静岡県民間社会福祉事業の素晴らしい環境と、職員の資質の向上の一端を1980年代に向かって担おうではありませんか。(誠信会報より)
尊い人命を預り、その評価を頂く事業。20周年を機に益々内容の充実、脚下照顧。
最近の福祉の見直しの時代にあたり、誠信会独自の民間社会福祉事業を遂行していきたいと思います。
「創立者 長谷川明徳理事長 20周年記念誌より」
発足準備をしても、実践と理論の違いをみせつけられ、悪戦苦闘した頃であり、個人的にも学園全体の舵取りは大海をただよう小舟の如くで、毎夜苦しんだものです。
しかしこの頃、一カ月の長期ヨーロッパ研修会で県内精薄者関係の施設長と夜昼についでの今後の精薄施設の在り方から、処遇、舵取りの仕方等の話題は参考になり、苦しみぬいた実践は理論を生み、理論は入所者と共に実践を生み、繰り返してきた誠信会のモットーの姿です。
北欧の社会事業研修時、オランダでの紙の加工にヒントを得て、大昭和製紙のご協力により、後保護事業所(誠信製作所)でも大きな紙管の機械が回り、それに職員、重度精薄者、高校生、老人が自主独立を目指しそれなりに働いている姿は、全国どこの法人も真似できない、誠信会の社会事業の姿と自負しても過言ではないと思い、仕事を探し尋ねた時代でもあります。
文:「創立者 長谷川明徳理事長 20周年記念誌より」
ヒューマニズムの追求
昭和60年代の記録
何はともあれ、民間社会福祉事業の原理・原則を堅持しつつ、入所者に対するヒューマニズム追及に、寺の参道である百八階段を二段上り、時には一段下がり反省し、その日その日を施設発足の日として登りつづけて参りたいと思います。
文:「創立者 長谷川明徳理事長 20周年記念誌より」
誠信会の社会福祉事業は、福祉を受ける立場の老人も児童も、福祉を授ける立場の職員も一丸となって民間社会福祉施設の精紳、人間愛(ヒューマニズム)を持って職員も、老人も、児童も総ての人間故に温かい心使い、小さい心使い、共に苦しみ、泣き、話し合いの創立の精紳のまま実践していきたいと思います。
組織も段々大きくなり組織の中で責任ある福祉を遂行する事は、ともすると事務的に走りがちで非常に難しい事があるが、第5期に入る前に今一度見当、反省し、創立の精紳、職員個々の生活、児童老人の生活、五分と五分ではあるが、健康な者が弱者に対して一部でも二部でもサービス対話を基本に、近代社会事業の誠信会として発展させていきたいと思います。
「創立者 長谷川明徳理事長 会報より」
年々歳々花似たり 〜誠信会事業から人づくりへ〜
・平成元年〜10年に記録
年々歳々花似たり 歳々年々人同じからず とありますが、花は年ごとに同じ花を咲かせるが、人はそうはいかないと説いています。
誰もが人間らしく豊かに生活できる事を願っています。
特に誠信会事業の人づくり。
児童には明るい未来を、高齢者、障害者には安らぎを
在宅福祉の充実に向けて、更に施設機能を提供し総合的な支援を、援助をして開かれた福祉ができるように。
自分らしくいきいきと生きられる社会が求められています。
トータルな人生をサポートする福祉にも期待がよせられています。
誠信会も安心してご利用いただけるように。
文:「長谷川和子前理事長 会報より」
ご利用者とともに歩む
・〜現在の記録