「人生の主体者」
あなたは、誰ですか?
そう言われて、ほとんどの人が自分の名前を答えるでしょう。
しかし、この答え方にも人生の主体者として自分の名前を答えている人とそうでない人がいます。
それは“自分が誰か自信をもって答えているか”の違いかもしれません。
まず名前は、生まれてから親などから授かったものです。
生まれてから、周りの人に呼ばれて“心にすりこまれたもの”です。
そして人生を過ごすうち、自分の生きている存在理由などが認識できることで、はじめて自分は人生の主体者として生きている自信をもって答えられるのです。
例えば、あなたが組織の主任だったとします。
あなたは、だれですか?
「私は主任です」
おかざりの名札として答える人もいます。
自分の人生の主体者として自信をもって主任の任を務めて答える人もいます。
しかし、自分の人生を主体的に生きることができない人は、人生を終えるとき後悔して終わることになります。
私は僧侶になり25年、そのように後悔して人生を終える人とそうでない人がいることを知りました。
だからこそ、主体者として生きることを大切にしてほしいと思います。
先人は言います“後悔先に立たず”その通りです。
もう一度お聞きします「あなたは誰ですか?」
理事長 長谷川文徳
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